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名古屋高等裁判所 昭和35年(う)636号 判決 1960年11月21日

被告人 江畑光雄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

控訴趣意第一点、理由不備又は法令違反の主張について、

所論は、原判決は証拠に基かず被告人に対する原判示犯罪事実を認定したか、又は被告人の自白だけで右犯罪事実を認定した違法があるという。

然し、原判決挙示引用の証拠を以つてすれば、被告人に対する原判示犯罪事実は優にこれを認定できるのであり、被告人の原審公判廷の供述(但し一部、被告人は、第一回公判の冒頭陳述において、原判決摘示事実と同一内容の公訴事実は、その通り相違ないと述べている。)被告人の検察官に対する第一、二回供述調書の内容は、いずれも自白であるが、自白の補強証拠は犯罪事実の全部に亘つてもれなく存在する必要はなく、被告人の自白にかかる犯罪事実が虚偽、仮空のものでないことを証明するに足りるものであればよいことは既に最高裁判所屡次の判決の示すところであり、本件において原判決が被告人の前記自白を補強する証拠として引用するところのものは、右の要請を充分にみたすものと認められるのであるから、この点の論旨は理由がない。所論は結局、次点の事実誤認の論旨に帰着するものである。

同第二点事実誤認の論旨について、

一、所論は、先づ被告人が本件被害者秦貞子を認めるや、被告人の運転する自動車を停めて同女を待ち受けて同女に同乗方すすめた、と原判決が摘示した点をとらえて、被告人は貞子を待受けた事実はない、というのであるが、右は罪となるべき事実に属しないのは勿論、量刑に影響を及ぼすべき重要な事実とも認められないのであるから、適法な控訴理由とならないばかりでなく、原判決が認定した右事実は、被告人の検察官に対する供述調書(特に、昭和三五年二月四日附のもの)により明認できるところであり、所論は原判決が採用しなかつたことの明らかな被告人の原審第三回公判廷の供述に依拠するものであるが、記録を精査しても、原判決のこの点の事実認定に誤認のかどは認められない。

二、所論は、被告人が秦貞子を乗車させたのは、被告人の全くの好意と善意にもとづくものであつたというが、原判決は、この点について、被告人が貞子を乗車させる当時から、同女を姦淫する意図があつたというが如き事実は全然認定していないのであり、所論の事実の如きは、本件犯罪の成否に亳も関係のないことといわなければならない。

三、四、所論は、被告人は、被告人の運転する自動車に乗車させた秦貞子に対し情交を迫つた事実も、そして又同女を姦淫しようと考えた事実もない、被告人は単に戯言を弄したに過ぎない、という。然し、被告人の原審公判廷の供述並びに前記検察官に対する供述調書によれば、被告人が貞子に対し情交を迫り、これを一蹴されるや、更に同女を連行し機会を見て同女と情交を遂げようと考えた事実を明認できるのであり、この事実は、後記説明の如く、貞子が被告人に対し、家が近いから下車させてくれるよう再三哀願しているのに、これを肯んぜず、深夜同女の意思に反して乗車させた事実に徴するも、被告人が貞子に対して情交を求めたのが単なる戯言を弄したものでないことを知るべきである。所論は強弁である。

五、所論は、被告人は被害者を不法に監禁した事実はないというのであるが、先づ、被告人の前記検察官に対する供述調書によれば、貞子が原判示田中こう方前街燈附近で、同女の家がその近くであるから車を停めて降ろしてくれと、被告人に頼んだこと、然るに被告人は同女のこの要求を肯んぜず、右街燈附近を通り過ぎ停車する様子がなかつたので、貞子は更に「停めてくれ」と要求しているのに、被告人はなおも「行くぞ行くぞ」とこれに答えながら、原判示方向に自動車を走らせたこと、そして、貞子は、その間、「こんな方向に行つてどうする。」「車を停めてくれ」「厭だ厭だ」と叫びながら、被告人に対し停車のうえ、降車させてくれるよう要求し続けていたのに、被告人は同女の要求を無視し、その意思に反して降車させなかつた事実を認定できるのである。弁護人は、貞子の前示「降ろしてくれ」との表現は、真実同女の意思の現われと見るべきでないというが、それも弁護人の独断、創作である。なるほど、同女において、被告人の腕を抑えるとか、大声を挙げるぞと警告するところがなかつたとしても、それだけの事実で、同女が被告人に対し、真実降車を要求したものでない、というが如きことは余りに牽強附会に過ぎるのである。そして又、被告人が、貞子の右降車させてくれとの要求に対し、原判示富田学園女子高等学校正門前の広場まで行つたら方向を換えてやると答えた事実は、被告人の司法警察員に対する供述調書にも見られるのであるが、貞子は被告人のこの言辞に対し、「厭だ厭だ。降ろしてくれ」と頻りに要求していたのであるから、(被告人の前記検察官に対する供述調書)被告人は即座に停車のうえ、同女を降車させるべきであつたのであり、又被告人として、右停車の措置をとることが、当時の状況において不可能又は困難であつたと認むべき事情は本件において亳も認められないものであるから、被告人が貞子の意思に反して、被告人の運転する疾走中の自動車の中に同女を強いて止めて、これを被告人の支配下におさめたというに亳も支障はないのである。そして、被告人が右の如く、貞子の意思に反して同女を被告人の支配下におさめた以上、仮りに被告人が弁解しているように前記富田女子高等学校正門前で方向転換して引き返えし、同女をその居宅迄送り届けてやる意思があつたとしても、これを中止未遂ということのできないことは勿論である。次に又、被告人に原判示監禁の意思の存したことは、前認定の事実及び被告人の検察官に対する供述調書により明認できるところである。

六、所論は仮りに、被告人が秦貞子の意思に反して、同女を被告人の運転する自動車から下車させなかつたとしても、その距離は、約三三〇米であり、自動車の走行時間としては僅々一分内のことに過ぎないから、被告人の所為は刑法上の監禁に該当しないという。

なるほど司法警察員作成の実況見分調書によれば、被告人が秦貞子から停車方を要求された原判示街燈から、本件事故発生現場であつて、被告人が自動車を停車させた富田女子高等学校正門附近までの距離が三三〇米位に過ぎないことは明らかであるが、被告人は右停車位置にいたり方向転換すべく自ら進んでその運転中の自動車を停車させたものでないことは勿論、同所において右方向転換に必要な措置を構じたわけのものでもなく、後で認定するように貞子が脱出のため疾走中の自動車から飛び降りるという被告人の不測の事態が発生したため已むなく停車したに過ぎないことは、原判決引用の証拠によつて明らかなところであるから、被告人が当初から右三三〇米の距離に限つて、貞子を被告人の支配下におさめる意思であつたかの如き議論をすることは、勿論筋違いというべきであるばかりでなく、被告人が原判示の如く午前一時を過ぎた深夜、その運転する自動車に貞子を同乗させ、同女の降車の意思に反して、時速二五粁ないし三五粁で右自動車を走行させ、同女をして生命の危険を感ずることなしには、この走行中の自動車からの脱出が不可能の状態においた以上、その脱出不能の状態においた時間が所論の如く僅々一分以内に過ぎなかつたとしても、これを刑法にいわゆる人を監禁したものに該るものと認めるのに妨げないと解すべく、この点の論旨も又理由がない。

七、所論は本件において秦貞子は脱出のため走行中の自動車から飛び降りたのではなく、自動車の助手席ドアの故障のため車外に転落したものであるという。この点は、本件捜査の当初から実は争点とされ、捜査官においても綿密に捜査を遂げ、原審も又所論のドアの検証を試みているところであり、本件自動車の助手席(秦貞子の乗車していた座席のドアのキヤツチに故障があり、該ドアに取りつけられた窓ガラスを全閉するときは、ドアの把手がかからなくなり、ドアが自然に開披することは、所論のとおりであるが(即ち、その状態では、ドアは閉まらないわけである。)ガラスの上部を、一寸五分から二寸位開けておくときは、右把手は充分ドアー閉鎖の機能を果すものであることは、原審の検証調書により明らかなところであり、被告人としては平素からこのドアの故障は承知していたが、別に自動車の運転には支障のないところからこれを放置しており、乗車に際しては右ガラスを全閉しないようにし、走行中は常にドアが開かないようガラスを前記の如く一、二寸下げることに留意していたものであるから、本件当時においても又ドアのガラスは平常の如くその上部一、二寸を開いていたものと思うと被告人も述べているのであり(その状態ではドアが自然に開披する如きことはないわけである。)、貞子が同乗中に右ドアが開いたことはなく、事故現場においてドアの所から急に冷い風がサツト入つてきたので、被告人はハツト驚いてその方を見ると貞子の半身が車外に落ちるのを見たというのであるから、その時ドアは初めて開いたものというべく、もし右ドアのガラスが全部閉めてあつて、把手の機能が喪失していたものとすれば、その当時迄にドアは開放の状態にあつたわけで、右ドアは自動車の進行につれて自然に開放されるわけであるから、被告人としても当然そのことに気付くはずであろうし又気付いたであろうが、本件において、そのような事実はなかつたこと、更に、貞子が転落後同女を抱えて右助手席に乗せ、該ドアを被告人が閉めた時、ドアは完全に閉り異常は感じられなかつた事実(もしガラスが全部閉めてあつたものなら、貞子の転落後このガラスに手をふれ又は、これを下ろしてその上部をあけた者はなかつたのであるから、そのままの状態では、ドアは閉まらなかつたはずである。)からすれば、貞子が右ドアの故障によつて自然に車外に転落したものとは認められないばかりでなく、(以上の事実は、原審検証調書並びに被告人の検察官に対する供述調書により認定できるところである。)被告人自身司法警察員及び検察官の取調べにおいて、貞子の転落は決してドアの故障によるものでなく、同女が脱出のため飛び降りたものと思う旨を前記の如き理由を挙げて繰り返えし述べているのである。そして又同女の死亡が所論の如く本件自動車のドアの故障による車外転落の結果であれ、原判決認定の如く同女が脱出のため走行中の自動車から飛び降りたものであれ、それは、被告人が原判示の如く同女を監禁中に生じたことであり、被告人のした監禁行為と同女の死亡との間に因果関係のあることは両者いずれも同じであるから、被告人の本件監禁致死の罪責を左右するわけのものではないわけである。いずれにしても、この点の論旨も又理由がない。

以上の次第であつて、論旨第二点はすべて理由がない。

同第二点量刑不当の主張について、

所論に鑑み本件記録を精査し、原裁判所がした証拠調の結果に当裁判所の事実調べの結果を併せ考え、原判決の量刑の当否について検討してみるのに、本件は被告人が自己の情欲を満足させるための目的に出でたものであり、しかもその手段は勤務の都合で帰宅が遅くなり、深夜帰路を急ぐ婦女を家まで送り届けてやるということで被告人の運転する自動車に乗せ、自動車の性能を利用してその女を脱出不能の状態に置き、これを姦淫しようとしたもので、犯行の態様も極めて悪質であること。本件において被告人の行為により人の生命を失わせるという悲惨な結果に立ちいたつていること、殊に本件被害者は、女手一つで中学校在学中の一女を抱え、けなげに生活と闘つている婦女であり、同女の死によりその子供の将来も全く希望のない悲憺のどん底に陥れてしまつたこと、その他諸般の情状を考えれば、本件の結果は被告人の予期しないところであつたにせよ原判決の被告人に対する科刑が所論の如く重きに過ぎ不当なものであるとは、とうてい認められない。所論の事情を被告人の最も利益に参酌してみても、事は同じである。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 影山正雄 谷口正孝 中谷直久)

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